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研討會系列 (Seminar Series)
演藝作品導賞系列 (Art Appreciation Series)
The 1st Lecture on Art Appreciation

(Translated by Miho)

日期:2007.03.31
地點:香港九龍灣國際展貿中心演講廳
主辦:哥哥香港網站

導賞作品.....電影《戀戰沖繩》
主持.....榮雪煙(內地導演)
講者.....陳嘉上(電影導演)

始めに

榮雪煙:

2004年4月、私が司会を務めた検討会で、まず始めに「離開不代表消失=この世を去る事は消失を意味しない」と述べたのを覚えています。“存在している事”は、いつでも感じられるでしょう。本日の午後のテーマはバカンスの雰囲気漂う物語です。《恋戦沖縄》についてです。まずこの作品のインタビューをご覧頂きましょう。

~放映~

では本日のゲスト、哥哥と《錦繍前程(恋はあせらず)》と《恋戦沖縄(恋戦。OKINAWA Rendezvous)》で合作されました、陳嘉上(ゴードン・チャン)監督をお招きしましょう。

陳嘉上:

皆さん、こんにちは。今日という機会を与えて下さり、ありがとうございます。感動しております。先ほどのインタビューは、私も見た事がありませんでした。ありがとうございます。

全ては《縁份》から始まった。

榮雪煙:

まずは陳監督に、哥哥と合作した時のエピソードや、想いについて話して頂きましょう。

陳嘉上:

《恋戦沖縄》は特別な作品です。私が哥哥と一緒に仕事をしたのは、これが2作目ではなく、実は3作目です。私たちが初めて一緒に仕事をしたのは《縁份》でした。

まずこのエピソードをご紹介しましょう。当初《縁份》の製作会社は、哥哥を出演させるつもりはありませんでした。哥哥はまだ売れておらず、《風継続吹》ヒットの前です。当時映画会社にいた小者、その一人が私ですが、他に後にレオン・カーファイのマネージャーになった余耀良、後に有名になった脚本家の阮繼志などもいました。当時私は邵氏公司(ショウ・ブラザーズ)の駆け出しスクリプターに過ぎませんでした。私たちは会社が選んだキャストが哥哥でなく別のスターであると知り、がっかりしました。シナリオを読んで、主演女優はマギー・チャンと聞いていました。それではなぜ主演男優がレスリーでないのか?私たち恐れを知らない輩は、会社の幹部の方逸華(モナ・フォン)女史を訪ねて言いました。「会社で最も若いのは私たちだ。私たちの方が、若者がどんな俳優が好きか良く知っている。どうしてレスリーを起用しないのか?」と。女史は「レスリーは人気がないから」と言いました。その時主役に予定されたスターの給与は、当時の哥哥の4倍でした。私たちは大胆にも、大きな白板を引っ張ってきて、二人の名前を書き付けました。そのスターと哥哥です。そして撮影所内のあちこちで投票を頼みました。「ヒロインはマギー・チャン。ではヒーローはどちらがいいだろう?」と。ラッキーな事に私たちの苦労は無駄ではなく、哥哥は相手の20倍もの票を獲得しました。哥哥は当時まだ無名で、売り上げの足を引っ張ると言われていたにも関わらずです。私たちの努力は実を結び、白板を方逸華女史に見せると、ありがたい事に、「皆がそう考えているのなら、それが良いのでしょう。一度賭けてみましょう!」と言って貰えました。その“賭け”は大成功を収め、私にとっても重要な意義をもちました。哥哥との初めての合作です。

私は白板を押して回った時、哥哥と面識はありませんでした。ただのファンに過ぎず、しかし歌を聞いて、将来はきっと成功するだろうと思っていました。この作品の時、不思議な事に、私は途中でスクリプターから脚本家へ昇格し、ただのスクリプターから、パートナーになりました。当時、私と哥哥とアニタ・ムイは良く脚本について話したものです。明日の撮影はどうすべきか、どう演じるべきかと。そしてこの作品で哥哥は、香港での売り上げ自己最高を記録しました。私もとても嬉しかったです。そして私たちは親友になりました。

互いの信頼あって、《恋戦沖縄》が生まれた。

陳嘉上:

2度目の合作は《錦繍前程》でした。この作品と《恋戦沖縄》には共通点があります。両方とも映画会社の創業第一作なのです。《錦繍前程》は中國星集團の作品で、当時幹部だったのは王晶(バリー・ウォン)氏でした。彼は私に会社の創立第一作を撮らせました。俳優は誰にするか聞かれたので、私はレスリーと答えました。この時は早急に取り掛かってくれとの事でしたので、もしそれほど急ぐならば、信頼できるのはレスリーとレオン・カーファイという良き友のみです。《恋戦沖縄》も似たような状況でした。百年電影公司の創業作で、この時も社長は向華強氏でした。向氏は《錦繍前程》のおかげで会社が良いスタートを切れたと考えており、私を呼んで、百年電影公司の第一作も製作するよう言いました。誰を主役にすべきかと聞かれ、私はもちろん「レスリーでしょう!」と答えました。あの時は非常に慌しく、何を題材にするかも未定でした。何を撮るかも分からないのに、記念すべき一作目を上映する期日だけは決まっていました。そこで私はすぐにレスリーに電話し、考えを聞きました。レスリーは「どんな作品?」と聞いたので、「僕の作品」と答えました。すると彼は「じゃあ、受けるよ。」と言ってくれました。

私たちは信頼し合っていました。何と言っても、未熟な頃から共に成長した仲間ですから。レスリーはよく「君がスクリプターから脚本家にならなかったら、僕のコンサートのスタッフになっていたよ」と言っていました。レスリーが《縁イ分》の撮影を終え、初めてのヨーロッパ・ツアーを行った時、私は一緒に行く予定でした。しかし香港で脚本を書く事になって断りました。その後も連絡は取り合っていました。そして彼は大スターに、私は監督になりました。哥哥はどんな役か、どんな作品かも分からず、ただレオン・カーファイとゴードン・チャンが一緒だというだけで、《恋戦沖縄》への出演を快諾してくれました。そして「僕ら3人は、時には一緒に仕事をしないと。集まったら、いつも楽しいから。」と言いました。

当時、私のパートナーで、この作品の脚本担当であった陳慶嘉は、大かがりなストーリーを考えていました。泥棒が女性と出会い、愛情が芽生えるという。それに基づき、各シーン3ページ程度で、大体何が起こるかを書きました。すでにシナリオの執筆時間はありませんでした。そして主演女優も探さなければなりません。たった3ページを読んで出演をOKしてくれる女優はいないでしょう。そこでレスリーと一緒にヒロインを分析し、もし阿菲(フェイ・ウォン)が出演してくれたらぴったりだと考えました。ご存知の通り、フェイ・ウォンはあまり出演の経験がありません。実際、以前ウォン・カーワイの作品に出たことがあるだけです。しかしレスリーは何も言わず、即フェイに電話をかけました。面白い事に、また同じ様な会話が繰り返されました。フェイは「誰の作品なの?」と聞き、レスリーは「僕が主演だけど、受けてくれる?」と言い、フェイは「じゃあ、出るわ!」と言いました。《恋戦沖縄》がすばらしかったのは、関わる人たちが互いに信頼し合い、互いのプロとしての仕事を認め合っていた事です。後でフェイに「脚本も読まず、哥哥と僕がやるというだけで、どうしてそんな決断ができたの?」と尋ねました。すると「あなたたち二人がいたら、悪い事はしないと思ったからよ!」との答えで、私は深く感謝しました。

親友とともに過ごす日々は、どんな作品よりも大切。

陳嘉上:

私と哥哥は、撮影方法について相談しました。私はウォン・カーワイ監督の映画が非常に好きです。特に《欲望の翼》の大ファンです。しかしウォン監督の様に豊富な時間やその他もないと分かっています。急いで上映にこぎつけなくてはならず、5週間しかない。5週間で出来る事を考えました。脚本を完成する時間もないため、レスリーに即興での演技にチャレンジするか聞いてみました。そして俳優に役を割り当てました。レスリーは泥棒で一所に落着かず放浪し、一人の女性を愛して側にいる事など考えません。他人に束縛されるのを嫌い、スマートで何も恐れません。彼には仲間がいて谷徳昭といいます。こちらは何でも信じ込み、泥棒をサポートし続けます。死ねと言われれば、そうしたでしょう。二人は沖縄に来て、ヤクザのボスから逃げてきた女に出会います。フェイです。それぞれの人物について、私はその性格と背景について説明し、「明日何が起こるかは、私にも分からない。明日になったら説明する。」と言いました。レスリーは「面白い」と言いました。

これは生きていくのと同じで、誰も明日何が起こるかは知りえません。毎日違った人と会いますがシナリオはなく、会えば即興で話し、脚本を取り出すまで待ってとも言いません。ですから私は、「私を神と考えて下さい。私が出会いと、その背景をお膳立てするので、後は思うように動いて下さい。役になり切ったなら、その人として生活している様に演じられるでしょう。」と言いました。例えば普段私とレスリーは出会ったら、自然とハグしますが、そんな風に自由に演じてもらいました。レスリーは「良いね、良いねえ。長い間そんな演技はしていない」と言いました。しかし実際には、これは俳優にとって大きな試練です。自分の役柄を深く理解し、自信を持ち、役について様々想像を膨らませなければなりません。ありがたい事に、レスリーとカーファイは経験豊かな俳優であり、彼らがいる事で他の俳優も自信を深められました。二人はいつも現場で他の人に「来て、来て。怖がらないで」と呼びかけていました。「我々3人は詐欺師のようだね」と、私はよく冗談を言ったものです。しかし5週間で作品を完成するという危険なゲームに挑戦しながら、私たちは楽しんでいました。途中でフェイが2週間抜ける事になり、実際彼女がいられる時間はもっと短くなりました。

毎日、前日の夜に私が明日起こることを考えるという撮影方法でした。基本となる場面を設定し、「この日この人とあの人が出会い、こういうことが起こったら、あなただったらどうする?」と話します。時には何も言わずにカメラの前に立ってもらい、自分で“ぶつかって”もらいました。リハーサルなしで演じて貰ったので、誰も相手がどう反応するか分かりませんでした。この撮影方法はとても興味深く、皆も楽しんでくれました。俳優たちも出演後セリフを覚えなくても良いと、のんびりしていました。メイキングを見れば、皆楽しんでいるのが分かって頂けるでしょう。

ある日、一生忘れられない日になると思いますが、沖縄の町に防波堤がありました。その日は早々に撮影が終っていました。レスリーと谷徳昭が防波堤で飛行機の離着陸を見て、金塊を奪おうと決めるシーンです。撮り終われば、片付ける予定でしたが、風景を撮る必要があり、助監督に撮影を指示しました。私は出演者とクルーが帰ってくるのを待っていました。するとやんちゃなフェイが、遊ぼうと言い出しました。そして考えに考え、皆さんは想像もつかないでしょうが、なんと沖縄の防波堤で「だるまさんが転んだ」をやったのです!考えてみてください。フェイ・ウォンが目を覆って、「だ~るまさんが、こ~ろんだ」と言い、振り返るとスターたちが“停止”の姿勢をしています。普段は彼等が子どものように街中で駆け回るなんて、想像も出来ないでしょう!沖縄では一定の時間になると、大音量で町中に時間を知らせます。子ども達の母が、夕食に家に帰ってくるように呼びかけているようでしたが、私たちはそれも聞かず遊びに夢中でした!《恋戦沖縄》撮影時の生活は、忘れられません。楽しい事がたくさんありました。よくなぞなぞもしたのです。これはフェイが始めたもので、彼女はなぞなぞがお気に入りでした。レスリーはいつも「嫌だ嫌だ」と手を振って、「ゴードンのところへ行ってよ」とフェイを押しやりました。歌も良く歌いました。当時フェイと、ニコラス・ツェーが付き合っていて、ニコラスもお忍びでやってきました。ニコラスがギターを弾いて、一緒に歌ったことを覚えています。

あの日々が懐かしいです。沢山の作品の中で、人生で一番大切な作品はどれか?と良く聞かれますが、私は《恋戦沖縄》と答えます。なぜなら監督として、これほど多くの出演者の信任を勝ち得る事は、そうそう出来ないからです。脚本もなく、全く計画も無いような状況で、自分が十分満足いく作品を完成できました。毎晩食事をしてから、私は戻って明日の撮影予定を書きました。時にはレスリーとカーファイも来ました。沖縄の万座ビーチ・ホテルで、宿泊客も多くなく、主なお客は私たちでした。良くカフェの閉店まで粘ってから帰りました。彼等二人も私に付き合ってくれ、翌日の事を話し合いました。予定表が仕上がっても、3人でのんびり話したり。ずっと前、3人が一番貧しかった時期、3人ともポケットにはお金が無く、街をうろついていた時代の事を話すと、レスリーはいつも「僕たち3人が長い間かわらず友達でいられ、このように映画まで製作できるのは、なかなか無いことだ」と言ったものでした。この作品は私たち3人の共作の2作目です。1作目の《錦繍前程》も、同様に楽しい体験でした。ですから《恋戦沖縄》が完成した時、哥哥は「次はどこで“恋戦”するの?」と言っていました。この作品は、私にとって、とても大切です。映画はまだ撮る機会がありますが、親友たちと過ごす日々は、どんな作品より貴重です。

特別な人には、特別な役を

榮雪煙:

監督にお聞きしたいのですが、何故《錦繍前程》で、レスリーにあの役をやらせたのですか?《錦繍前程》は、あの様な役はあまり演じていないので、哥哥の演技人生にとっても重要だと思います。

陳嘉上:

実は《縁イ分》で初めて合作した時から、彼には特別な配役をしたいと考えていました。彼は、彼自身がとても目立ち、非凡な人物です。人を惹きつける魅力を持っていて、ハンサムです。黄霑(ジェームズ・ウォン)氏が、「現代のこの都市で、洒脱な貴公子に出会うとは!」と言ったのを思い出します。彼は特別な存在で、ともかく抜きん出ています。これは彼の最大の強みであり、しかし演技においては最大の弱点でもあります。もしある観客が、一目見て「彼は好きになれない」と感じたら、彼は脅威を感じさせる存在になりえます。人はそういうものです。ものすごくハンサムな人を見ると、拒否感を持ちます。その観客を心服させない限り。《縁イ分》では哥哥が数々の悪事を働くように書きました。のっけから、騒動を起こします。私は哥哥の役は、観客が感情移入しやすい様に書いてきました。親近感を持てるようにと。しかし彼は非常に可愛いらしく、悪い事をしてもあまり責められないという特技があります。二度目の合作の《錦繍前程》では、ご存知の通り彼は大悪人です。しかし私は「恐れる事はない」と言いました。哥哥は悪事の限りを尽くしても、反省し改心すれば許してもらえます。だからあの役もその様に書いたのです。《恋戦沖縄》でも同様で、もし彼ほど可愛くなく、親近感も持てない人が演じたら、あの役は皆に嫌われるでしょう。だからレスリーで無ければダメなのです。他の俳優では演じられません。

哥哥とヴィンセント・コック 沖縄にて

榮雪煙:

では続けて、谷徳昭(ヴィンセント・コック)氏の《恋戦沖縄》の思い出をご覧頂きましょう。

谷徳昭:

陳監督から《恋戦沖縄》に出てみないかと連絡があり、出演メンバーだけを教えてくれました。そして沖縄で撮影すると。即座に「出ます!」と言いました。(大笑)これ以上何を望めましょう!美しい人たちと、沖縄というすばらしい場所に行って、出番が済んだら小麦色に肌を焼いて、数ポンドやせました。夕食はいつも美男美女と一緒で、撮影は本当に楽しかったです。苦労したのはゴードン監督と、スタッフでしょう。あの時期沖縄の天気は不安定で、光が差さないばかりか、雨も降りました。だから撮影時には臨機応変に撮影順序を調整したり、シナリオを変えたりが必要でした。スタッフは僕たちほど、滞在を楽しめなかったかもしれません。撮影後、もし監督になってと言われても、俳優でいる方が良いな!と思ったものです。

撮影方法には特に問題を感じませんでした。沖縄には面白い物がたくさんあり、良くホテルのビーチで撮影しましたが、私はゴードンに安心するよう言いました。「僕は絶対見つかるよ。ボートにいなかったら、ダイビングしているか、泳いでいるか、もしくは水上スキーしているから。」15分あれば、シャワーを浴びてカメラの前に立てます。監督がどうやって撮ろうと、問題ではありません。実際このような監督の仕方もありです。多くの監督がやっています。ゴードンは新たなチャレンジをしていました。俳優には二種類います。まずは日常的な話しか演じられない俳優。監督の脚本通りに演技はできません。例えば《監獄風雲》の出演者は、監督が望むところを指示しても、その通りにできず、自分流のやり方で演じています。そしてもう一つは、プロの演技者です。レスリーやレオン・カーファイや、フェイのような。監督が何を要求しようとも、それを演じてのけます。いや、それ以上の事も期待できるでしょう。神の啓示をつかむ法を知っていると言うか。私はゴードンは、この方法を使ったのだと思います。あるシーンの始め、終わり、中間はこんな感じ、こういう効果を出したいというと、彼らはどの様にでも演じます!私は脇役で、主役たちの演技を見て、傍らでそのオーラに浴していました。

《恋戦沖縄》の時期には突然、IQ題(なぞなぞ)が流行りました。フェイが良く知っていて、多分娘さんとしょっちゅう遊んでいるのでしょう。カーファイは熱心で、時間をかけて答えていました。一方で哥哥は、いつも微笑んで僕らが何と答えるかを見ているだけで、あまり中には加わりませんでした。他の事にもほとんど加わらず、傍らで微笑している事が多かったです!

滞在していたホテルは市街地から離れていて、時には一時間以上かかりましたが、自分の出番があろうが無かろうが、一緒に抜け出して遊びに行っていました。哥哥についてショッピングです!「Wow~!哥哥とショッピング!」彼が何を選ぶのか、何を見るのか側で見て、話をし、ゆったりとした時間を過ごしました。一緒に食事をしたり、別行動したり、時には監督と話をしたり。良く哥哥とコーヒーを飲みました。哥哥と最も親しくなった時期でしょう。深い話も出来ました。良い友達としての深い話です。

哥哥は浮かない様子でした。彼は「人に親切にしないのはまだしも、何故故意に人を傷つける必要があるのか?仕事の為なのか?僕には大きな謎だ。何故仕事の為に、他人を害するのか?」何故か分からず、憂鬱な面持ちでした。何か悩みがあったのか?多分あったのでしょう。だからある夜、カフェでこの話題になった時、どう答えて良いか分かりませんでした。またその資格もありません。哥哥は芸能界で経験豊富ですから!私に言えたのは「人は一様じゃない。中には“取るに足らない(訳注:原文「渣斗」)”人もいる。どうして彼等が、そんなつまらない事をしでかすのかは分からないけれど、もし誰かのせいで不愉快になったら、そいつは考える価値もないと思って、そんなやつ等のことで悩むことはないよ。」でした。哥哥は“取るに足らない”と聞いて笑ってくれたので嬉しかったです。彼が沈んでいる時に、喜ばせる事が出来たので。その後、私たちの話には頻繁にこの形容詞が登場し、“渣斗”と言っては笑ったものでした。

《家有喜事》の時には、《恋戦沖縄》ほど哥哥と気持ちが通わなかったというつもりはありません。哥哥の心の窓は開かれていて、本音で話せます。武術に喩えて言うなら、《家有喜事》では彼は拳や蹴りを練習していて、《恋戦沖縄》ではすでに内功の修行に入っていたでしょう。芸術だけでなく、仕事でも、生き方でも、どうやったらこんなステキな人になれるのか、自分が良く生きるだけでなく、社会のために出来る事があればと考えていました。彼はもっと純な、もっとシンプルなものを求めていると感じました。

《恋戦沖縄》の時に、私のコラムにも書いたのですが、ある夜カフェで、雨が降っていました。何故だったかいつしか“I am what I am, I am a very special kind of creation. ”という言葉について話していました。私は「この言葉は、あなたの事だよ、哥哥」と言いました。かなり長い間話したと思いますが、哥哥は「これは曲を書かないと」と言いました。数日後、哥哥は新曲《我》が出来たといい、メロディーをハミングしてくれ、私が一番目に聴くのだと言いました。後に歌詞が出来て、広東語と普通語版があります。彼は普通語版が好きだと言っていました。そしてまた口ずさんで聴かせてくれました。とっても嬉しかったです。この歌も好きですし、また哥哥が歌うと、聴かせるのです。何かの縁を感じて、嬉しく、光栄に思っていました。《我》この曲は、大好きです。そしてコンサートでこの歌を歌う時は、いつも舞台下の私の方を見てくれました。

哥哥はどんな役でも演じ切れる。

榮雪煙:

2005年のセミナーで林紀陶氏と盧偉力博士が、レスリーが演じた事のない役について、そしてどんな役が彼に合うか討論していました。今日は陳監督に、監督として、どの様な役がレスリーに最も合うのかを聞いてみたいと思います。

陳嘉上:

難しいですね。若い時のレスリーは、やはり足りない部分があったと思います。しかし《恋戦沖縄》の時期には、自分の目の前にいる彼には、もし自分が脚本家なら、思い切って何でも書くだろうと思いました。ヴィンセントが言った通り「哥哥はもう表情や動作に頼らないで、すでになり切っているから、感じた通りを演じて」います。レスリーはどんな役にでもすぐ入り込めますから、その役柄を自分のあたかも特徴の一つの様に出来たでしょう。《恋戦沖縄》の時、私は「彼がやりたい役があれば、何でも準備しよう。」と思いました。思い切って書けば、完璧に演じてくれる。そんな人です。チャレンジ精神も旺盛で、難度の高い役があれば、演じたいと言ったでしょう。だから最も合う役というのは、思いつきません。合う役は非常に多いです。彼に出来ない役があるとは思えません。《恋戦沖縄》で、レスリーとカーファイの役を入れ替えようかと考えた事があり、レスリーもおバカな役に乗り気でした。私は「レスリー、君なら絶対うまく演るだろうけど、でも周りが許してくれないんだ!」と言いました。《錦繍前程》でもすでに、周りは私を責めました。衣装が皆にとっては驚きだったのです。哥哥は最も売れていた俳優で、ドル箱スターの衣装は多くの場合、アルマーニやJoyceで買ったきれいなものです。しかしその時哥哥が着たのは觀奇洋服(訳注:Kwunkee Tailor香港の老舗。)と、廟街で買ってきたのもありました。それで良いのか?と皆思ったのでしょう。しかし意外にも、レスリーが着てみるとなかなか良かったのです。そして「髪型も時代を感じる様なのが良い?」と聞きました。私は周りに「レスリーを過小評価している。」と言いました。彼は俳優であり、役に必要な物は何か知っています。私と彼の合作の強みは、彼が受け入れてくれると知っている事です。恐れて言い出せない人もいますが、それはレスリーをステレオタイプと見ているからです。私は「レスリーをステレオタイプと見るな。彼は千変万化で、測りがたい深さを持っている。敢えて彼を起用したのは、彼はそれだけの事をしてくれるからで、私は高く買っている。」と言いました。「レスリーに小汚い格好をさせて、どういうつもり?」と言われたこともあります。しかし嬉しかったのは、あの美しいレスリーを、それだけ野暮ったい感じに出来た事です。しかしダサい格好は、レスリーの非常な努力の結果という事は、知られていません。かなり難しいです。彼を野暮ったく見せるのは!

残念ながら映画の長さの関係で、《錦繍前程》ではあるシーンを削る事になりました。編集するのは辛かったのですが。ちょっと人を食った/小馬鹿にした様な、反道徳的なシーンでした。哥哥が登場するシーンで、このシーンをバリー・ウォン監督が見て、ご存知の通りウォン監督は小馬鹿にした様な/道徳規範を離れたような作品をたくさん撮っていますが、私の肩を叩いて言いました。「自分はモラルに反していると思っていたけど、君の方が上だった!」このシーンは、レスリーが地下鉄で、あの役はしょっちゅう女の子に声をかけるのですが、美人に出会って言います。「美人さん。あなたは僕の前の彼女に良く似ているよ!」すると彼女が「そうよ。私はあんたの前の彼女よ!」レスリーは、「いつ出会ったのだろう?」と思うのですが、彼女は本当に以前のガールフレンドでした。残念ながら長さの関係で、カットせざるを得ませんでした。彼が演技中も大爆笑だったのを覚えています!彼はこんな人です。普段は物静かで、作品の中での様におしゃべりではありません。役を与えられると、すぐに自分を解放し、演じられます。彼が偉いのは、誰もが巨星はそんな役をやらないだろうという役も演じる所で、だからこそ彼は真に俳優だと言えます。



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